綴れば綴る程に遠くて

主に思考記録です。

2017年7月6日

5月、わたしはとある本を読んだ。現代社会が抱える宗教問題、遺伝子工学人工知能、環境破壊などの問題について考え答えを出して行く内容の本だった。書店で立ち読みをし、大変興味深かったため購入することにした。読みながら、自分が如何に世界の事柄に関して知識がなく、また無関心であったか痛感した。「自分と社会」でさえもピンと来ないのに「自分と世界」の関係性について考えられない、そう思っていた。しかしこの本を読み終えて、いつ歴史が転換を迎えてもおかしくない、その可能性が常にある中で自分は生きているということに気付かされた。

 

それまでは単純に「自分が成せることは何か。やりたいことは何か。命をもって返せるもの、返せることは何か」をずっと考えてきた。だが、同時に世界や社会との関わり方も真面目に考えなければいけないと感じた。わたしたちは社会に密接に関わっている。世界に密接に関わっている。一人で生きているのではないから。どうしようもなく誰かの人生に関わっていて、それはつまりどうしようもなくこの世界に関わっているということでもあるから。

 

1ヶ月半考え続けた。自分の夢や、これを成したい、そう思っていることを今の立ち位置からどうアプローチしていくか。「自分と社会は密接に関わっている」このことを前提に、自分はどう動いていけるのか。正直とても辛かった。考えれば考えるほど、自分が「こうしたい。あれをやりたい」という気持ちや、それに関することよりも現状社会について考えなければいけない時間が多くなっていった。本を読んで「じゃあ自分はこういうところを改めて、こうしよう」そう思っても今の社会が現状のままだと何も変わらない、変えられないと気付いてしまったから。個人ではなく「社会」が目を向けなければ何も変わらないのだ。

 

大きなギャップを感じざるを得なかった。

 

個人では限界がある。わたしは段々と今の自分が望んでいる生き方や夢を貫くのは無意味なことのように思えて仕方なかった。社会の行く末を考えたとき「生き延びる選択をし続けること」が一番無難な生き方ではないか、そう思えてきたのだ。切っても切れない社会と個人の関係性に絶望した。

 

それでも「誰かがやらねば」そう思ってしまった。冷静に考えてわたしのような一般人に何が出来るんだよってわたしも思っている。でも思うのだ。どうせ生きるなら自分の思うように生きて欲しいと。社会をどうにかしなきゃ、これから生きるひとたちが少しでも生きやすい、己の希望や夢を伝えあったりそこに向かってつき進めるように、そう思っていた。

 

 

 

先月末、そんな思いを抱えながらシンポジウムに行ってきた。わたしの尊敬する女性。わたしに「変化」をくれた女性のシンポジウム。正直ギリギリまで乗り気ではなかった。申込みをしたときはそれはそれはとても楽しみにしていた。だが、5月に入ってシンポジウムまで上記のことを考えて。シンポジウムなんて行っている場合なのか、とも思った。キャンセルしたところでお金は戻ってこないのだから行こうと思って当日会場に向かった。

 

講演、パネルディスカッション、そして対談と3部構成で途中休憩を挟みながらシンポジウムは進んで行った。対談では彼女がとても好きだというカウンセラーの方との対談だった。彼女の要望によりオープンカウンセリングをすることに。わたしは此処で迷いはあったもののチャンスだと思って手を挙げた。詳しい内容は機会があれば書こうと思う。このオープンカウンセリングを受けて、知らなかった自分の奥の奥の奥底にある声を引き出して貰った。これには非常に驚いた。まさに目から鱗。目から出たのは実際は涙だった。色んなことが解けていった。

 

対談でも出た話の一つなのだが、今の時代他者に許可を求めて生きている人は多い。「わたしこれで良いんですかね?」など。自信がない人に特に見られるようだ。でも本当は自分に許可を出せる人間は自分しかいない。本当は自分が良いなら良い筈なのだ。自分が望むものをただひたすらに与えることが出来るのも、良いか悪いか決められるのも自分しかいないのだ。自分の人生の責任者は自分しかいないから。自分の中の本当の神は自分しかありえないから。他人に許可を求める必要なんて一切ないのだ。

 

「ああ、そうだったな」とわたしはシンポジウムに参加してわたしを取り戻した。「自分御都合主義」「全肯定」でまた生き始めたら面白くなってきてしまったのだ。「生き延びるための選択をし続けること」を考えていたわたしは居なくなった。「わたしがオッケーならオールオッケーなんだ!」と馬鹿みたいに素直になり「社会がなんだ!わたしが絶対だ!」と完全な馬鹿になった。馬鹿で結構。むしろみんな素直すぎるくらい一回馬鹿になればいいのに、とさえ思う。この変わり様、わたしが一番面白がっているに違いない。

 

今日までも気付きや絡まった糸が解けて一つの円を今まさに描いているような感覚がある。わたしは頭で考えて考えて生きるよりも、思うように生きていた方がわたしらしいと思ったのだ。この「変化」が起こるまで絶対にそんな生き方はしないと思っていた。「わたしはこうあるべき」という思いをずっと抱えて「頼ることは弱いこと」だと思い生きてきて、これからもそう生きようと思っていた。それこそ現実を生きる為の選択をし続けてきた。23歳の終わりに起きた「変化」はまさにわたしにとっての転機だった。「わたしらしくない、ありえない」そう思っていたことが今一番わたしにフィットしている。不思議なものだ。

 

 

 

シンポジウムに行くまで社会との密接な関係に行き詰まりを感じていたが、だからこそわたしはわたしの生きたいように生きるのが良いのではないかと今は思う。

 

誰かのきっかけになれるよう。誰かにとっての頼りになる大人になれるよう。わたしらしく生きることが誰かを勇気付けたり救ったりできるような存在になれるよう。こういう生き方もあるのだなとデータとして、パターンとして映えるよう。わたしはそうやって生きたいと思う。この時代だからこそ。

 

わたしたちが後世に残せるのは、近しい人間に残せるのは結局は生き方なのではないかと思う。知識は勉強すれば得られる。お金は稼げば得られる。じゃあ他者からしか得られないものは何か、そう考えたら「生き方」しかないのかなと思う。ならば、死ぬ瞬間までわたしの生き方を残そう。

 

わたしがわたしを生きる理由がまた一つ増えた。それはとても光栄なこと、誇らしいこと。

 

 

 

 

 

長ったらしい、纏まりのないブログを読んでいただいてどうもありがとう。7月6日は天赦日であり、一粒万倍日でもあった。「誰かのきっかけ〜」の思いはまさにこの日改めて思った、決意したことだった。特に意識していない分、このような重なりが嬉しく思う。