綴れば綴る程に遠くて

主に思考記録です。

「失敗したら」

大人になって、わたしは臆病になった。何かに挑戦することや未知の世界に対して、希望や期待の気持ちよりも恐怖や不安に思う気持ちの方が強く出てしまう。傷付くのだって嫌だ。体と同じで心の傷だって治りにくくなってしまったから。ああでもない、こうでもないと脳内で議論が繰り広げられる。その中で最も飛び交うのが「失敗したらどうしよう」という言葉。決して口にはしない。わたしは強がりで、他者にそんな弱みを見せるなんてそんなみっともないこと出来ないからだ。弱さをみっともないことと認識しているのだ。その話はまた後日したいと思う。

 

先月のこと、わたしは1ヶ月半ほど同じテーマついて考えていた。その日もアウトプット用のノートに自分の考えを書き出して読み返した。読みながら、いつものように「失敗したらどうしよう」という言葉が何度も浮かんだ。結局、わたしにないのは恐怖心に打ち勝つ強い精神ではなく、そこに掛ける情熱なのではないかと悩んだ。間違いなくこれも一つであろう。自分にちょっぴり失望して溜息を吐いてしまった。そして注文していたコーヒーを一口。そのとき疑問が降りてきた。

 

「そもそも失敗ってなんのこと?何を指しての失敗なの?」

 

よくあることで、紙に書いた自分の気持ちを読むことで客観視出来るのだ。まるで誰かの気持ちを、思いを読んでいるような感覚。

 

どうして今までそこに注目しなかったのだろう、と自分の中で気付きがあった。ここでまたペンを手にして「失敗」について書き出してみた。わたしが考えていた失敗は「思うような結果にならなかったこと」重点を置いていたのは「結果」の部分だというのが分かる。しかし改めて考えてみると全く違う方向からとらえることができた。

 

「失敗」とは、

思うような結果にならなかった場合そこから何も学ばないこと、何も生かせないこと。

 

このことを「失敗」と言うのではないだろうか。そう考えると失敗なんてそんなにしていないのでは、そう思えてくる。何故なら学ぼうとしているから。何がきっかけでそうなったのか、次はどうすれば良い方向に向かえるのか考えているから。次に生かそうと頭を使っているから。そしてそれは「失敗」ではなく「経験」や「学び」とも言える。