綴れば綴る程に遠くて

主に思考記録です。

光の中に立ち続ける事はできない。

だって眩しいじゃないですか。目だって疲れてしまうしたまには影の中に居たいときもあります。光の中に立つことが自分の望みなのか、自分のスタイルなのかと考えたら違ったんですよね。

 

今日のブログはいつもと口調が違いますが、そんな気分なのでこのまま続けます。

 

先日、思いました。わたしの口からハッピーな言葉が出てくるよりもちょっとアンダーグラウンドというか影のある、それこそ女子をこじらせてのようなことを書くほうが、話すことの方がフィットしているのではないかと。わたしのパーソナリティも含めてそっちの方が言葉に重みがあるのではないか。力があるのではないかと思ったんです。「こうした方がいいですよ」と訴えるよりも「それも含めて、捨て去らないでこういうのはどうですか?」って提案をする程度。それを実行に移すかどうかはやっぱり本人次第なのでね。わたしはきっかけでしかないし、それでいいと思っています。むしろきっかけになれるってわたし的には一番嬉しいです。

 

よく「◯◯のおかげで変われました」という人たくさんいると思います。わたしも、 今までそう思って来ました。でも本当は違うのだと思います。それらはきっかけでしかなくて、変われたのではなく自分が自分を変えたんです。それを受け入れたからでしょう?わたしはそう思います。

 

話を戻しますね。そんなことを考えたのは夜のことでした。翌朝目覚めて同じことを思いました。そのときわたしの頭の中には白いキャンバスが浮かんでいて、白のキャンバスだと光が集まりすぎて消えてしまうのではないか。キャンバス自体の存在も光でとんで、眩しくて消えてしまうのではないかと思いました。過去のわたしがあって今のわたしがあるということを忘れてはいけないし、そのことをもっときちんと受け止めるべきだと思いました。綺麗でいる必要はないのだから。

 

この時期何か自分の中で違和感を感じていたのですが、こういうことだったんだなとやっと理解することが出来ました。自分の言葉がどこか自分の言葉ではなく、誰かの言葉のように聞こえていたのはこの違和感のせいだったのだと思います。なので、如何にも前向きな話を書いた記事はこのとき消しました。そしたら不思議とすっきりして、晴々とした気分でした。女子こじらせてるときの方がリアルな剥き出しのわたしで、これぞわたしだなと思いましたし、それすらも受け入れるんでしょ?って自分に言いました。そもそもこじらせてなければもっと素直に生きていたよ!ってちょっと舌打ちしたくなりましたね。公開処刑をああいう意味合いで使うのはわたしくらいでしょうしね。これは言えませんけど(笑)

 

昨日しいたけ占いのしいたけさんの射手座の話を読んで職場でわかるわかると思いながらRTしました。自分の命なんていくらでもくれてやるってものに出会えたら馬鹿みたいな力が出せるし、それがない、見つからない人生なんてわたしの人生じゃないって本気で思っています。

 

皆様良い休日を。