綴れば綴る程に遠くて

主に思考記録です。

過ぎ去ったことは、忘れろ。

さうはいっても無理かもしれぬが、 しかし人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも、堪えてそしらぬふりをして生きているのではないか。

太宰治

 

数日前に出会った言葉の一つだ。休日前夜である真夜中に見掛けた言葉だった。真理だなと思った。先人たちの言葉は真理であり、教科書のようだと思った。過去、同じようなことを言っている人がいたことを思い出して、わたしらカメラロールからスクリーンショットを探した。数ヶ月前のものだった。

 

全部本当で、楽しくて、愛されていることも知っていて、ただ、わたしにはわたしの、どうしようもない傷がある、というだけのことなんだ。

雨宮まみ

 

雨宮まみだった。「死にたくなる夜のこと」というタイトルで綴られた思いだった。彼女が亡くなった時、自殺ではないかなど憶測が飛び交った。その際この記事が出されていたのだ。

 

この記事にわたしは酷く共感した。誰かと一緒にいる時間は楽しい。友人なら尚更。全部本物だった。楽しかった、幸せだと思った気持ちも声を出して笑ったことも、慣れない自撮りも、一緒に食べたご飯が美味しいと思ったことも。全部、全部が本物で、嘘偽りは一切なかった。それでも、わたしにもどうしようもない傷がある。

 

皆それぞれ何かを抱えていて、それでも生きているのだなと深く感じた夜だった。

 

誰しもが自分だけの傷を抱えて生きている。誰にも癒せない、自分だけのものを一生背負って生きて行く。このわたしにも。話すことは別に構わないが、この傷は誰にも、どうにも出来ない。それだけははっきりと言える。どうしてほしい、とも思わない。諦めなどではない。なぜなら、一緒に生きて行くから。それすらも自分の一部としてわたしは生きるから。だから諦めではないのだ。

 

己を受け入れるのは、他者を受け入れるよりも遥かに難しい。勇気がいることだと思う。それでもやっぱりわたしはわたしを諦めたくないと思った。それでも生きようと思った。