綴れば綴る程に遠くて

主に思考記録です。

映画「たかが世界の終わり」

家族は他人の寄せ集め、そう教えてくれた人がいた。結局は他人なのだから気にすることなんてないと18歳のわたしに教えてくれたあの人は今何をしているのだろう。

 

 

家族だからこそ分かり合えないことなんて山程ある。家族だからこそ思いを打ち明けられないこと、目を背けたいこと、関わりたくないこと。分かり合えないからこそ火がついてしまうことも同じくらいあるのだと思う。ぶつかって、理解できることできないことが出てきて苦しんで。もう伝えることをやめようと思っていても避けられないシーンはやってくる。家族とは一体何なのか、どういうものなのか分からない、そんな思いが出てくることもあるだろう。でも正解はない、きっと。この作品を観てわたしはそう感じた。 

 

観ながら愛についても考えた。

(ルイの家族はぶつかっていても心の奥底にはそれぞれに対する愛があるなと感じたから)

愛には様々な形態がある。なぜ様々な形態が存在するのか。それは生きていくことと共に形成されるからだと思う。バックグラウンドにもよるだろうし、今まで生きてきた時間の長さや濃度、築いてきた関係性にもよるだろう。角のない丸い愛、尖っている愛、触れれば消えてしまうものもあるかもしれない。生きていく中でそれは何度となくカタチを変えるだろう。それぞれが、それぞれの愛のカタチを持って生きている。でもそれは必ずしも他人から理解してもらえるもの、受け入れてもらえるものとは限らない。だからこそぶつかるし、理解し合えないのではないだろうか。

 

 

「愛があっても生きるのは苦しいし、結局は何が私たちを救うのか」

 

 

そんなことも感じた映画だった。

感想や思いを伝えるのがこんなにも難しいと感じた作品は久しぶりで上手く言葉にすることが出来なかったが、それは観れば分かるとだけ言っておこう。

 

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