綴れば綴る程に遠くて

主に思考記録です。

拝啓、雨宮まみ様

まみさんの訃報を聞いてもう少しで3ヶ月が経とうとしています。今日の東京は雪だか雨だかよく分からないお天気です。わたしはヴェローチェでコーヒーを飲みながらこれを書いています。入店したのは2時間前なのでわたしのコーヒーは冷め切っていて、それはそれで何だか良いなと思っています。

 

先程ふと、心の奥底にしまっていることを人に話してしまいたいと思いました。でも話したからって好転するわけでもないし、わたしはどうしたいのか分からなくなりました。家族になんて言えるわけがない。わたしにとっては一番言えない関係性の人たちだからです。かといって友達に話すと絶対に重くなるし、どこまで話していいか分からなくなります。お世話になったお母さんのような人に話せるかと言われれば話せない。こうやって誰にも話せないで終わることが自分の奥底にあって、それが1つじゃないから困ったものです。

 

人に何か求めている自分が嫌になる瞬間でした。自分との向き合い方、人との向き合い方にまた悩み始め、さっきからそのことで頭がいっぱいです。

 

こういうのを話せる人って一体誰なんでしょう。

 

そんな気持ちで手帳に書いたまみさんの言葉を読んで思ったのはまみさん以外にいない、ということでした。まみさんだったらなんて言葉を返してくれるのだろう。お会いしたこともないまみさんに聞いて欲しいだなんておこがましいなとも思うのですが、まみさん以外にいないのです。でももう、貴女はいません。雨宮まみという人を失ったわたしたちはどう生きていけばいいのでしょうか。この厳しい時代、強く生きなければと頭では分かっていても、強くあり続けるというのは肉体的にも精神的にも非常にくるものがあります。

 

本を開けばまみさんの言葉があって、その言葉は生き続けています。有難いことです。この先何度となく来る困難に立ち向かうとき、どうしようもなく沈んでしまった日の夜わたしはまみさんの言葉を何度も何度も読むのでしょう。その度貴女の存在の大きさを強く感じるのでしょう。

 

まみさんの文は不思議とまるで自分に語りかけてくれるようなものがあります。だからきっと、わたしはまみさんのことを好きになったのだと思います。そこには温度や色があって、わたしから見た読んだまみさんの言葉は柔らかいオレンジであたたかいものなのです。じんわりとこのどうしようもない気持ちをあたためて溶かしてくれるもの。人生という時の中で貴女の存在を知れたこと、文を読めたこと、言葉を受け取ることができたこと全て幸福に思います。

 

今もやっぱり悲しいし泣きたくなるときもありますが、でもまみさんはやっぱりわたしの中では生きているのできっと大丈夫です。
これからも貴女の言葉とともにわたしは生きるでしょう。

 

ふと、でもどうしても書きたくなったので思うがままに書きました。これからも雨宮まみさんが大好きです。

 

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