女子をこじらせて。 -女が女を殺すとき-

先日こんなことをツイートしました。

 

「女」だからって女を突き詰める必要なんてないはずなのに、女だから綺麗でありなさいなんて、本当はそんなこと必要ないのに。「女」というだけであれもこれも強要さ」ているような気持ちになる。いい加減にその「女」を「人間」に置き換えてくれ。

 

社会が「女はこうあるべき」と言ったり男性上司から「女は結婚して家庭に入った方が幸せだ」と言われたり、昔より自由になったらなったで、「女」を強要されているような発言は増すばかりではないだろうか。わたしが言われた訳ではないが上司が数年前「女が社会に進出するから、」と発言していたことがあったらしく。非常に残念な気持ちだ。

 

女性の生き方や価値観は女性の数だけそれぞれある。

 

先日の某美容雑誌の記事に関しても疑問を抱いてしまったのはわたしだけではないようだ。わたしは最近「モテ」や「愛され」「目指すのは〇〇な女」という文字を見る度に殴りたくなる気持ちになる。結局「女」を強要しているのは社会や一部の男性よりもわたしたち「女自身」なのではないかと思ったのだ。モテて愛されることってそんなに大事なことなのだろうか。女として必要なことなのだろうか。女として誇るポイントになるのだろうか。こうなってしまったら溢れ出て止まらない疑問。

 

結局女が女を殺し続けているのではないかと感じた。

 

お前が女子こじらせてるからだろうと言われたらそうですね、としか返せないが「女子をこじらせているかどうかではなく、女としてよりも1人の人間として人生どうするか真剣に考えたことあるの?」と一緒にお言葉を返したいですね。女が女を強要しているから女は女に囚われて生きているのではないか、わたしはそう感じている。女が自由になれないのは女にも原因はあるのだと思う。自分たちが自分たちを殺しているだけだよきっと。

突き詰めて

今朝職場で「人生もっと気楽に考えたら?」と言われた。常に突き詰めてるよね、とも。

 

「人生どうするか常に考えてます」と話をしたらこう返されたのだ。もう十数年もずっと考え続けていること。この思考がクセで、これがわたしなのだ。

選択肢の一つとして提示するならまだしも「何言ってるのこの子」そんな雰囲気をわたしは感じ取った。人生の歩み方の違い、それだけ。それだけなのに、と思ってしまった。

 

コーヒーを例えに話してみたいと思う。

アメリカン、ブランド、エスプレッソの中ならわたしはアメリカンが好きだ。それぞれの味わいや美味しさを知った上で、わたしはアメリカンが好きだと言う。ブレンドよりも、エスプレッソよりも。

ある人は言った。「エスプレッソが最も美味しい。エスプレッソ以外なんてありえない」ブレンドの美味しさもエスプレッソの美味しさも知った上で話しているのに、何もわかっていないとでも言うような言い方。悲しいような、残念だなあと感じてしまうような感覚。それはあなたの価値観で、わたしとは違うのに、そう思ってしまう。

 

わたしは他人にどう思われるかよりも今、自分がどう感じているのか、自分にはどう見えているのか、それが自分にどう作用していくのか。そこにしか興味はない。自分ご都合主義なのだ。数あるコーヒーの中からアメリカンを選んだにすぎない。

 

明日死ぬかもしれないから今日を自由に生きるのか。明日死ぬかもしれないから全力投球をするのか。これだって、どっちを選んだって良いはずだ。

選んだ方が自分の望んでいることであって、それ以外はなにもない。

 

他者が望む自分よりも、己が望む自分を生きる。

それでいい。それが己の人生を生きるということだとわたしは思う。自分が何を欲しているか。何がしたいのか。どこにいきたいのか。自分に問い続ける。そして答え続ける。他者の言葉よりも己の言葉に耳を傾けて。わたしらしくありたいなら、わたしに問い続けるべきだ。

広告を非表示にする

「Laugh & Peace ファンクラブイベント Vol.5」

雨宮まみがわたしの中のこじらせ女子の神様ならば、宮野真守はわたしの中の「生きる」ことに対しての神様である。

 

宮野真守さんのFCイベントに参加して来た。詳しい内容はレポされている方のツイートやらブログをご覧いただければと思う。感じ取った熱量や感想を、先の生きるわたしのために、いつか挫折したときのわたしが読み返してまた頑張ろうと思えるようにここに書き残したい。

 

f:id:trsfthplstr:20170604202553j:image

(物販スペースにあったものをパチリ)

 

今回、わたしは初めて参加させていただいた。まずは御本人様、スタッフ及び関係者様、そしてファンの皆様に感謝申し上げる。単独イベントやライブ自体の参加もなかったので本当に初めてだ。何年も前から彼のことは知ってはいたが、昨年いきなりその魅力に落ちてしまったのだ。

 

宮野さんに対する思いは過去の記事を読んでいただければ幸いである。加えるならば、彼はわたしにとっての光であり、エネルギーそのものだということだ。わたしはアーティストとしての宮野さんがとても好きで何よりも尊敬している。彼がリズムを刻めば、歌えば、踊ればとてつもないエネルギーが渦を巻き降り注ぐ。その熱量は計り知れないもので、今日体験してきたが、勝手に涙が出てくるくらいだ。余りにも大きな彼の持つエネルギーに抗えなくて涙してしまう。それだけじゃない。あの場にいる誰よりも彼自身が楽しんでいる。わたしはその姿を見る度に本物のエンターテイナーだと思う。誰よりも自分自身が楽しんでいる人がわたしの思うエンターテイナーであり、彼はまさにそういう人だ。

 

1曲目のMAGICで一気にヒートアップする会場に思わず笑みが溢れ、2曲目のヒカリ、ヒカルで詞と宮野さんの歌声に静かに、でも止め処なく涙が流れる。3曲目に移る前にサプライズで1曲歌ってくれるという。今日、6月4日は彼がアーティストとしてデビューしたまさにその日だった。9年前、デビューした曲を今日ここでみんなと歌いたいという嬉しいサプライズだった。Discoveryを丁寧に歌い上げる宮野さんを見て「ああ、宮野さんはデビューしてからどれだけのものと闘い続けて来たのだろうか」そう思ったらまた涙してしまった。「続けるということは戦うということである」という言葉がある。9年という月日の中で彼は何度戦ったのだろう。何度立ち上がったのだろう。その度乗り越えてステージに立ち、そして今日とこうしてわたしたちの前に居てくれる。それがどれだけ有り難いことなのか、そう考えたらマスカラもアイライナーも落ちるくらい泣いてしまった。最後の曲は「Happy Happy Birthday」みんなと合唱したい曲というテーマでファンクラブ投票で1位に選ばれた曲だ(他の曲も別項目で選ばれた曲である)宮野さんここで「みんなが!俺のために歌ってほしいなあ〜!俺は歌わないから!みんな歌ってくれるかな?」というリクエスト。会場にいるファンの皆さんで宮野さんにお誕生日おめでとう、という気持ちを込めて歌った。まだ少し早いですが本当におめでとうございます。

 

その後8月リリースのアルバムタイトル発表があった。タイトルは「THE LOVE」

 

「みんなが居てくれたから。みんなへの感謝の思いや愛を」とのこと。詞も書いているそうで、宮野さん自身が思う愛だけでなく、作曲者の方が思う愛や、こんなのはどうかな?こういう愛はどうでしょう?と制作チームと話しながら進めているそう。たくさんの愛の形を魅せていけたらと語ってくれた。そしてなんと、このアルバムから新曲をお披露目。わたしのテンションはハイを超えた何かだった。一度聴いたら離れないメロディでこれはライブで盛り上がること間違いなしの曲だ。今から楽しみである。そしてこのアルバムを引っさげて秋からツアーが始まる。是非とも友人と参加して、次は友人と一緒に楽しんで盛り上がっていきたい。

 

最後は宮野さんのお見送りをしてただき、イベント終了。どのくらいの距離感なのか分からないけれども、御本人にお見送りしていただけるなんて、勿論落ち着いていられない。あと少しなんだなというところで「立ち止まらず早歩きでお願いします」というスタッフの声掛け。何を言おうか。「好きです」と言いたい気持ちもあれば「尊敬しています」と言いたいとも思った。あっという間にわたしの順番が回って来て、宮野さんがもう見えていて。笑顔で手を振る彼を見てわたしの口から出た言葉は「ありがとうございます」だった。宮野さんもしっかりと目を見て「ありがとう」と満面の笑みで手を振っていた。わたしの声は上ずっていたと思う。出口付近で泣きそうになった。わたしの光が、エネルギーが、尊敬している彼がそこにいたことが信じられなくて、でもそれは確かに現実で。思考が追いつかなくて、代わりに涙が溢れそうになった。「好きです」って言えなかったのが悔しかった気持ちもあった。でもあの瞬間出た言葉が「ありがとうございます」だったのならば、それが彼に一番伝えたかった言葉だったのだろう。多分、わたしにとって「ありがとう」という言葉は好きよりももっと深い想いなのだと思う。出会えてありがとう。居てくれてありがとう。何もかもが奇跡で、今ここに居ることも奇跡だから。だから「ありがとう」なのだと思う。好きよりももっと深い言葉が、わたしにとっては「ありがとう」なのだと初めて気付いた。

 

今日、彼からたくさんのエネルギーやパワーを貰って「わたしがわたしでいる。わたしがわたしで居続ける。それ以外は必要ない。パッションさえあれば。それだけでわたしたちは内から輝けるはずだ」そう思った。

 

彼のことを神様だと言ったが、神様でもあり魔法使いでもあるとイベント中わたしは思った。彼の魔法はわたしを素直にしてくれるから。上記に書いて居ることを思ったように悩んだり、行き詰まって居るわたしを素直に、シンプルな思いにさせてくれるから。

 

今日参加できて本当に良かった。わたしにとっても一生忘れられない日になった。

 

宮野さんありがとう。これからも応援させてください。

 

最後まで読んでいただいた方もありがとうございます。ありったけのパッションを込めて海浜幕張駅前からでした。これから電車乗って帰るぞ。明日休みにしておいて良かった。月の隣にいるのは金星。綺麗だ。今日は何よりも特別な夜だと思わせてくれる。

 

f:id:trsfthplstr:20170604202611j:image

光の中に立ち続ける事はできない。

だって眩しいじゃないですか。目だって疲れてしまうしたまには影の中に居たいときもあります。光の中に立つことが自分の望みなのか、自分のスタイルなのかと考えたら違ったんですよね。

 

今日のブログはいつもと口調が違いますが、そんな気分なのでこのまま続けます。

 

先日、思いました。わたしの口からハッピーな言葉が出てくるよりもちょっとアンダーグラウンドというか影のある、それこそ女子をこじらせてのようなことを書くほうが、話すことの方がフィットしているのではないかと。わたしのパーソナリティも含めてそっちの方が言葉に重みがあるのではないか。力があるのではないかと思ったんです。「こうした方がいいですよ」と訴えるよりも「それも含めて、捨て去らないでこういうのはどうですか?」って提案をする程度。それを実行に移すかどうかはやっぱり本人次第なのでね。わたしはきっかけでしかないし、それでいいと思っています。むしろきっかけになれるってわたし的には一番嬉しいです。

 

よく「◯◯のおかげで変われました」という人たくさんいると思います。わたしも、 今までそう思って来ました。でも本当は違うのだと思います。それらはきっかけでしかなくて、変われたのではなく自分が自分を変えたんです。それを受け入れたからでしょう?わたしはそう思います。

 

話を戻しますね。そんなことを考えたのは夜のことでした。翌朝目覚めて同じことを思いました。そのときわたしの頭の中には白いキャンバスが浮かんでいて、白のキャンバスだと光が集まりすぎて消えてしまうのではないか。キャンバス自体の存在も光でとんで、眩しくて消えてしまうのではないかと思いました。過去のわたしがあって今のわたしがあるということを忘れてはいけないし、そのことをもっときちんと受け止めるべきだと思いました。綺麗でいる必要はないのだから。

 

この時期何か自分の中で違和感を感じていたのですが、こういうことだったんだなとやっと理解することが出来ました。自分の言葉がどこか自分の言葉ではなく、誰かの言葉のように聞こえていたのはこの違和感のせいだったのだと思います。なので、如何にも前向きな話を書いた記事はこのとき消しました。そしたら不思議とすっきりして、晴々とした気分でした。女子こじらせてるときの方がリアルな剥き出しのわたしで、これぞわたしだなと思いましたし、それすらも受け入れるんでしょ?って自分に言いました。そもそもこじらせてなければもっと素直に生きていたよ!ってちょっと舌打ちしたくなりましたね。公開処刑をああいう意味合いで使うのはわたしくらいでしょうしね。これは言えませんけど(笑)

 

昨日しいたけ占いのしいたけさんの射手座の話を読んで職場でわかるわかると思いながらRTしました。自分の命なんていくらでもくれてやるってものに出会えたら馬鹿みたいな力が出せるし、それがない、見つからない人生なんてわたしの人生じゃないって本気で思っています。

 

皆様良い休日を。

小説「出会いなおし」

森絵都さんの新刊の短編集。購入したその日は、森さんではない別の作家の本が欲しくて探していた。その時目にとまったのがこの本だった。この本、というよりも帯の言葉に惹かれ、わたしはこの本を購入した。帯にはこう書いていた。

 

年を重ねるということは、

おなじ相手に、何回も、

出会いなおすということだ。

 

この時わたしは奇跡を感じた。運命とも言えるかもしれない。この本は買うべき本で間違い無い、そう思ったわたしは棚から抜いてレジに向かった。何処に奇跡を、運命を感じたのか。わたしも同じようなことを思っていたからだ。昨年10月12日の日記にわたしはこう綴っている。

 

ふと、付き合いの長い人でも「はじめまして」をしたくなった。出会ったあの頃から変わっているであろうこと、わたしは知りたい。あなたを知りたい。

 

出会って別れるだけが人との出会いではない。何度も何度も、わたしたちは出会う。それは年月だったり、例えば結婚して妻になった友人、出産してお母さんになった妹など己の立ち位置が変わった人と。中学の部活の先輩後輩だったわたしたち。10年以上の付き合いは続き後輩も社会人になった。一緒にお酒を飲めるようになって新たな一面が見える。会わない間があって、わたしたちはまた互いの違う面を見ることが出来た。わたしたちは何度だって「はじめまして」と言える。「久しぶり」が「はじめまして」だって良いのだと思う。あなたと会うたび、あなたに出会い、あなたがわたしの中でより立体的になる。こういう解釈の仕方も良いものだなとわたしは素直に思うし言いたい。

 

相手を想う心、相手に向けた感謝の言葉。忘れられない、忘れようとも忘れられない人。忘れたくない人。気になって仕方のない人。人との出会いはこんなにもバラエティに富んでいて面白い。作品の中には相手を想う余り狂気を感じるところもあったが。人との出会いってなんて楽しいのだろう。化学反応だ。同じ人でも、冒頭に述べたように立場や年月が経てば、また違った化学反応を起こす。これだから人との出会いはやめられないのだ。人が人を求め生きる。人間やってて良かったなと思う1番の瞬間なのかもしれない。 

 

今迄の自分の人生を振り返って、今迄の出会いに想いを馳せて。

 

個人的に「ママ」と「むすびめ」が好きです。

 

 

 

それは単なる偶然か。

(昨年11月にメモに残していたもの)

 

誰かが教えてくれてモノや作品、人。それらはギフトなのかもしれない。それを受けることによってこの先の自分に繋がる何かがあるかもしれない。いや、そう思うことでそして視ることで己の力でそれを大きく自身に広げられるのだろう。ギフトを授かったあとの行動で自分の未来をかえることはできる、きっと。

 

25からの5年がわたしの人生の勝負で諸々の決断を下すため思考し行動する5年になるだろう。もう後戻りしないと誓うべきだ。誰でもないわたし自身に。

 

やりたいのはわたし自身で評価とかはどうでも良くて。一度きりの人生ならやりたいことやったほうがすっきり死ねる。わたしは生涯を通してやりたい。ロクデナシと言われようが自分自身だから本当の意味での問題は。わたしがやりたいのなら他の人口出しはできない。させなければいいだけの話。そこまでできるかはわからないがそれもまた、やってみないとわからないから。

 

来年から絵画展、写真展、舞台etc
作品というものにたくさんふれよう。
己が出すためにはまずそういうものをたくさん見て触れて、ストックを作らなければ。

 

追加

人から勧められたものは一度は見たり読んだりすることをわたしは勧めたい。出来れば1ヶ月置かずに。

今この瞬間だからこそ、得られたものだと思うから。

上半期の終わりが近づいております。

今年もあと1カ月で半分が終わりますね。今回は2017年上半期のホロスコープ、そしてフォーチュンサイクルの見直しをしつつ、手帳に書いている内容をご紹介しようと思います。雑誌やウェブコラムに記載されているものを書き写したものなのですが、たまに読み返し2017年の流れを確認しているのです。

 

まずはホロスコープから。Twitterでも少しお話したことがありますが、2016年は「解体」の年であり、2017年は「ゼロから1を引き上げる」年。これは昨年末のフィガロにとじ込み付録として記載されていた石井ゆかりさんのホロスコープ。ちなみに発売中のフィガロで2017年下半期のホロスコープも読めますよ。こちらもとじ込み付録です。抜粋してご紹介します。

 

 

【2016年は柔軟宮に星が集まり「物事が変容していく」雰囲気に満ちていました。

季節の変わり目には、それまでの季節が「解体」していきますが、それにも似て、

「ずっと続くだろう」と思われた体制やシステムが

奇妙な形にばらばらと分解していく風景を目の当たりにした気がします。

イギリスのEU離脱や、日本では今上陛下の「お気持ち」が発信されるなど、

象徴的な出来事とたくさん起こった年でした。

(中略)

そうした「解体」の時間から、2016年秋以降、新しい時間へのシフトが始まりました。新しい時間とは、いわば「起動」の時間です。

柔軟宮が「季節の変わり目」なら、2017年上半期に星が集まる活動宮の世界は「季節の始まり」を担っています。

季節の始まりは非常にフレッシュで、

ゼロから物事が立ち上がっていくような初々しい勢いに満ちています。

2016年秋までが「解体」の時間なら、

2017年上半期は、解体されて更地になった場所に、

新たな建物の最初の柱を立てるようなタイミングと言えるでしょう。

 

思うに、物事を「ゼロから1」にするには、「1から10」にするのとは、

少し違った力が必要になるのではないでしょうか。

たとえば、知らない同士が知り合いなることは、

すでに知っている相手ともっと親しくなるよりも、

はるかに勇気の要ることです。

「最初に声をかける」ことが怖いばかりに、ずっと長い間1人でいる、

という人も少なくないのです。

おそらく、ゼロの状態から最初の一歩を踏み出すには、

すでにある均衡状態やルールをまるで無視して、一気に目に見えない壁を打ち破っていく、

ある種の無鉄砲な「破壊力・突破力」が必要になるのだと思います。】

 

 

久しぶりにこれを読んで、思えばわたし個人の中にも「解体」があったなと思いました。簡単に言えば人間関係です。2016年に入ってから、そして秋に自分がこの世に生まれたミッションは何かをやっと、10年以上考えてやっと見つけられてから(今は本当にこれなのかと迷い、悩んでいる期間に入っていますが)25歳を迎えて、これからどう自分の人生と向き合っていこうかと考えた時、周りとの関係性を整理しようと思ったんですよね。そこがわたし自身における「解体」だったのだと思いました。人間関係や、自分を紐解く「解体」があって、2017年に入って小さなことではありますが「立ち上がり」を意識してトライしていることもあります。

 

ウェブコラムでは2017年についてこのように書いているのもありました。こちらも抜粋して。

 

 

【フォーチュンサイクルで見ると、2017年に思い切ってチャレンジできない人は、そこから9年間はチャレンジの機会を逃してしまうとか。そのためにも、2017年のうちに何かひとつでも目標を掲げて挑戦することが必要。チャレンジできた人ほど"可能性"がテーマとなる2018年を実りあるものへと変えていける。実現できるかわからないあいまいな目標ではなく、1年間で叶えられそうなハードルを設定することがコツ。

リセットにも最適な年なので、やり直したいことや後悔していることがあれば、ゼロから再チャレンジするのもオススメ。】

 

 

今までホロスコープやフォーチュンサイクルは読んで終わりでしたが、意識するようになってからはどこかいつもと違う気がしています。こうやってたまに読み返して、確認して、感じて。信じる信じないかというよりも、気付きや振り返りとツールとして扱うようになりました。振り返りをすると「そうだったかも」「思えばあれはそういうことだったのか」と発見があって面白いです。

 

 

今回はもう一つ月のパワーについても少しお話したいと思います。明日は新月ですね。新月の日は思いを宣言する日。「私は」を主語に完結系、例えば「私は100万円貯めました」という具合に手書きで2〜10個紙に書く「アファメーション」をぜひやってみてください。わたしは1月からこのアファメーションをしています。月1回、月によっては稀ですが月2回、このアファメーションをするようになってから特別意識しなくても少しずつできるようになっています。月1回の再確認ができるというのも大きな利点でしょうが、少しずつ目標クリアに近付いているのを感じます。月のパワーは侮れないなと本当に感じています。特に月は女性との関係が深いものです。明日から如何ですか?

 

また機会があったらこのような記事書いてみたいと思います。最後まで読んでいただいてありがとうございました。